06

傍の自販機で買ってきた缶ジュースに口をつけながら、満月と悠乃は赤い空を眺めていた。
もう幼い子も家に帰っていないこの時刻、二人でゆらゆらと意味もなく空いたブランコを揺らす。
時々結波や、おそらく黎花の制服を着た生徒が、公園の前を通り過ぎていく。
付き合ってよと言ったのは確か悠乃の方だった。
しかし特に用はないようで、ふと隣に目をやると、本人は珍しくあの魅力的な笑顔を絶やしてぼんやりとしている。
仕方ないのでこちらから気になっていたことと訊ねてみた。

「現代文の時間なんかあった?答辞の子と話してたでしょ」
「…、」

名簿の順的にも満月は後ろの席なので、前の方に座る悠乃のことは暇な授業中なら尚更、意識しなくても目に留まる。
今日のように生徒の中で唯一机の位置がずれているとなると余計だった。
その授業が始まる前まではいつものように笑いながら話した記憶があるので、悠乃がぼんやりしている原因はそこにあると満月は思う。
一瞬黙った悠乃だったが、一息置くときちんと空を眺めながら口を開いてくれた。

「ちょっと怒られちゃって」
「怒られたの?でもまぁそんなの気にすることなくない?」
「…ちょっと、っていうのは違うかも。ごめんなさい」

悠乃にしては珍しく、暗さを孕んだ声ではぁと露骨な息が洩れる。
しかしそう言って顔を上げた悠乃は、たった今恋煩いのような乙女の吐息を零したにも関わらず、その瞳にしっかりとした意思を滲ませていた。
微かに膨らます頬と眉間に寄せて釣り上げられた眉からは、明らかな不満が読み取れる。

「凄く怒られたの。なんかもう、喋らないでって言われちゃった」
「うわ、何それすごい」

こんな可愛らしい少女に話しかけられて、それを拒絶する男子が世の中にはいたのか。
満月が感嘆の声を洩らすと、そんな内心を知らない悠乃の鋭い視線が飛んできたので口を噤む。
満月が男ならきっと喜んで会話に乗っかるだろう。否、もし乗っからなくてもおそらくほとんどの人間がはっきりと喋るなとは口にしない。
満月から見るに相当悠乃はしっかりしていてやり手だと思うので、そんな彼女をあしらう彼はきっとよっぽどの強者に違いない。
そう思うと少し興味が沸いてきた。

「で、何?悠乃はそれに対して怒ってんの?」
「え?あぁ、それは違うわ。私が悪かったんだと思うからいいの」

しかし身を乗り出してこちらが訊ねれば、缶のタブを玩びながら悠乃は満月の言葉を否定する。
代わりに先程まで不満しかなかったその可愛らしい顔が、今度は困ったように顰められた。

「けど、どうしても納得いかなくて」
「やっぱ怒ってんの?」
「そうじゃなくって」

確かにゆるやかに左右に振られるその顔は、もう怒っているようには見えない。
人間の感情とは複雑だ。そして満月は、複雑なものに関して考察することが苦手である。
仕方ないので、満月はいつの間にか空になった缶を傍のゴミ箱へと投げ捨てた。
カコンと響くアルミの音は、様々な塵の中に沈んでく。
一方で丁度同じように缶を空にした悠乃も、缶をゴミ箱めがけて放ったが縁に当たって落下した。
カラカラと缶は、まるで悠乃をからかうようにまた足元へ転がってくる。

「…なんかもっと、根本的なところからだめなの」

缶を拾った悠乃は、缶を見つめながら改めて恋煩いのように息を吐く。
甘い、本当にどこまでも甘い呼吸だ。
けれどそれはあくまで初対面の相手にひどい暴言を浴びせるようなクラスの男子に対してで。
何かを諦めるように小さくだめだと言いながらの、そんな息遣いは滅茶苦茶だ。

「――ううん、絶対そうなのよ」

次にそう言って顔を上げた悠乃の声は、やけに凛と満月まで届いてきた。

「例えば彼は、私が初対面で、休み時間に話しかけたとしてもきっと似たようなことを言うんだと思う」
「うん?」

振り返る友人の、何か吹っ切れたような表情と全然わからない例えに満月は取り敢えず適当に頷いた。
最早満月の反応なんて大して気にも留めていない悠乃は一人でもうんうんと首を縦に振っている。
さっぱりわからないが、彼女が何かきちんと決心できたなら問題はない。
適当に漕いでいたブランコから、満月はようやく腰を浮かせた。

「付き合ってくれてありがとう。ごめんね、帰りましょう」
「うん」

改めて周囲を見渡すと、もう学生の姿も見られない。
赤かった空は西の方から青みがかってきて、見上げた空には月が浮かんでいる。
缶を握った悠乃がゴミ箱の方まで歩き出して、満月もそれに倣って追いかけた。
今度はきちんと、悠乃の分の音も塵の中に吸収されていく。
隣から窺ったその横顔にはもういつもの笑顔が浮かべられていた。



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