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「うわー…」

思わず落胆の声を洩らしながら、篤はどんよりと曇った空からとめどなく滴る雫を見上げる。
朝は爽やかな晴れ空だったし、確認した天気予報でも雨についての注意などしていなかった。降水確率も低かったと記憶している。
今日は時間がなかったこともあって洗濯物は室内にあるので大丈夫だろうが、それ以前に生憎篤は傘を持っていない。折り畳み傘も見事に忘れた。
これならせめて今日は隼斗達と合わせて帰ればよかったと、今更後悔してももう遅い。
今日も彼らは何処かへ行くらしく、いつものように誘われたが、これもまたいつものように篤は断った。
そして三十分ほど教室に残って、出された調べ物の課題を予め片付けて。
何もかも終えて帰ろうと、靴箱のところに来たらこのザマだ。
体育館からはまだクラブ活動を行う生徒たちの声が聞こえるものの、周囲に最早人はいない。

「…どうしよう」

春と呼ぶには少し暑くて、夏と呼ぶにはまだ肌寒い気もするこんな季節。
こんなザアザア不降りの中、雨に濡れれば下手したら風邪を引くだろう。
家にある折り畳み傘が、ここまで飛んでいてきてくれればいいのに。
そこでふと家にいる守威の顔が浮かんだが、とてもではないが雨の中安易に呼びつけられる存在ではない。
それに恐らく、朝の様子では頼んだところで迎えには来てくれないだろう。
否、それは当たり前で、それぐらいが篤にとっては丁度いいのだが。
もし守威が篤を嫌わず、尻尾を振る犬のようにすぐ飛んで迎えに来てくれたりしたら篤はきっと今より酷い罪悪感で潰れそうになる。
父がいて、守威と母の関係がそんなにギクシャクしていなかった頃には父が守威を連れて迎えに来てくれたこともあった気がする。
それも最早過去のことだ。全て篤が、めちゃくちゃにした。
そしてそれと同じことを、自らに置き換えてきっと守威も考えている。
お互いに我が家を壊してしまったのは自分だと、罪の意識に日々耐えている。
篤は日常を生きながら、守威は非日常を過ごしながら。二人して罪の償い方を考えてる。

思いに耽ったところで、くらりと眩暈がして篤は自嘲気味に笑みを零した。
違う。篤と守威は違う存在だ。篤が抱えるソレと、守威の抱えるソレは違う。
篤のものはもう取り返しがつかないが、守威のものは彼が勝手に引き寄せて背負ってしまおうとしているに過ぎない。代替わりしているだけだ。

「…――走ろうか、」

いっそのことこの雨に濡れれば、余計な考えは吹っ飛んでくれるだろうか。
そうすることで少しでもすっきり出来るなら、それも悪くないなと吐息を零す。
風邪を引いたらどうしようとか、先程までの考えはもう脳裏になかった。
ただ走って、ただ浴びて、たまにはそうすることも悪くないのではないかと魔が刺したのだ。

三十分以上滞在していた靴箱から篤は意を決して飛び出すと、鞄を頭に翳してひたすらぬかるんだ地面を蹴った。
靴も制服も、帰って磨くなり乾かさなければ泥だらけだ。
セーターが肌に張り付いて重かったが、そんな些細なことは気にしないように心掛けた。
びちゃびちゃと嫌な音が鳴って、すれ違う人たちがぎょっとこちらを見て目を逸らす。
ひんやりとした雨は、走って火照る体には丁度良かったくらいだ。


*  *  *


一方篤が学校から出た頃、丁度リビングへ降りてきていた守威は、カーテンの隙間からざぁざぁと響く空を見上げる。
ひどい雨だと思う。篤が見ていた朝の天気予報ではこんなことは言っていなかった。
玄関には篤の折り畳み傘が置いてある。
あんな晴れ空だったのだ、きっと篤は傘を持っていないだろう。
試しにパーカーのポケットに突っ込んだ端末を握りしめてみるが、勿論震えもしなければ着信一つありはしない。

――やっぱりあいつは、いつもこうだ。

迎えに行こうかとも思ったが、余計なことをして傘を持った兄と鉢合わせしても困る。
ひょっとしたら友人の傘に入って、いつものようにのうのうと帰ってくるしれない。
それに篤がどう帰ってこようが、守威には関係ないことなのだ。
結局また僅かに開いたカーテンを閉めて、守威は二階の自室へと戻った。

水浸し状態の兄が帰宅したのは、それから十数分後のことだった。



未発達な願い