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一番後ろの椿の机と空席を元に、沙奈達は三つの机をくっつけ、その上にそれぞれのお弁当を広げる。
そしてそれとは別に、一つ机を挟んだ前の席で陽と蒼衣が昼食を摂る。
これが入学式以来の黎花――椿達の日常だった。
今日もそれは変わらずに、沙奈と涼が先程やった授業の小テストについて話している間に椿は適当に相槌を打つ。
沙奈が顔を顰めて言う文句に、涼が笑うので椿も合わせる。

「水澤さん」

しかしその合間ちらちらと黒板の方の様子を窺っていると、目が合ってしまった蒼衣が不意に椿に呼び掛けた。
その声にまだぺらぺらと何かを語っていた沙奈がふと動き止め、涼も蒼衣の方を振り返る。
休み時間はそれなりにざわざわと騒がしい教室だ。何も全体が静まり返ったわけでもないのに、椿はグループの動きを止めてしまったことに一瞬たじろいだ。
だがすぐに沙奈が「どうしたの?」と一声挟んでから「んでさぁ、」と続きを語りだす。
それに合わせて、今度は何故か蒼衣ががたりと席を立ってこちらへやってきた。
手にはまだ食べていない開け掛けのサンドイッチが握られていて、ついでにもう一つコンビニ弁当の袋も持っている。

「鳴海さん、俺達も今日そこで食べていい?」

そしてそのコンビニ弁当の入った袋の方を椿に手渡して、適当に椅子を引っ張って沙奈と椿の間に座った。

「これどうするの?」
「それ陽のお弁当。まだなんか日誌書いてるから先に持ってきたんだ、そっちの隣入れてあげて。――陽、終わったらこっち来なよ」
「…あぁ、」

蒼衣に手渡された手にした弁当は、勿論温まってもおらずひんやりとしていた。
ちらりと中を覗いてみても椿にはあまり美味しそうには見えない。彩りも茶色一色で如何にも健康に悪そうだ。
適当に開いている涼との間のスペースに袋を置き、椿は自分の弁当の箸を進める。
先程まで椿が必死に頷いていた反応は上手いこと蒼衣がしてくれていて、椿はやはり前方をちらちらを窺いながら、一口ずつゆっくりと母の作ってくれた弁当を咀嚼していく。
淡いピンクの丸い一段弁当箱に、玉子焼きとプチトマト――今日は珍しくから揚げが入っていて「典型的なお弁当」といった感じだ。
父が冷凍食品を好まないので、椿の家のお弁当の中身はほとんど母の手作りである。
不器用な母が唯一得意なこと――それが料理だ。昔から礼儀作法をきっちりと教え込まれ、それに見合う料理を摂ってきた父も絶賛している。椿も母の料理は好きだ。
今日も朝から早起きして油を使って揚げてくれた。おそらくわざわざ椿のために。
市販の弁当を馬鹿にするわけではないが、椿が未だコンビニ弁当を口にしたことのないことを考えると母には感謝してもしたりない。

と、色々考えたところで、ふと横に影が差して顔を挙げる。
日誌を書き終えたらしい陽が、自分の弁当を発見して椿の隣へ来ていた。
椿は慌てて箸を置いて、広げていた水筒や弁当包みを避ける。

「――ここ、座っていいのか」
「あ、うん。…どうぞ」

ある程度のスペースができたところで、近くの椅子を引き寄せて招いた。
躊躇いなくそこにどかりと腰掛けた陽は、蒼衣が持ってきたコンビニ弁当を開けて食べ始める。
家庭で作られた弁当とはまた違う、濃い加工的なにおいが広がる。
よく見ると陽の弁当にも、椿の弁当のものとは似てもにつかない硬そうなから揚げが入っていた。
そんなから揚げを、陽が箸で取って口に運ぶ。
噛むその動作すら硬そうで、ぼんやりと自分の手元の玉子焼きを食べながら無意識のうちに軽く眉根を寄せて眺めていた。

「なんか、見てて面白いか」

食べるスピードが早いなとまた感心していると、その翡翠色の瞳が椿の視線を受けとめた。
突然目が合ったことに、思わず視線を逸らしてからまた戻して歯切れ悪く謝罪する。

「え?あ――…ごめん、珍しくて、つい」
「…“珍しい”?」
「…そういうのって食べたことないから」

椿が呟いた言葉に、陽は一度こちらに目をやってから、これまた硬そうなご飯を今度は口に運んだ。
そのまま躊躇いなく「気になるなら何か食べてみるか」と差し出されて、はっと我に返り、慌てて首を横に振る。
まるでこれでは食べてみたいと言っているようなものだ。椿はそういうつもりで見ていたわけではない。
それに自分のものがあるのに他人のものに手を付けることには気が引けるし、早起きして手の込んだ弁当を作ってくれた母にも申し訳ないと思う。
わざわざ強いられるような食べる機会がないのなら、口にしない方がいいのではないか。
あまりに頑なに拒むと、陽はやはり淡々としてその差し出してきた弁当を引っ込めた。
やはり彼は顔を顰めなければ怒りもしない。それは初めて接点を持ったあの日から変わらないことだ。
するとそのまま弁当を机に置き、さっきのコンビニ袋からペットボトルを取り出した陽が言う。

「じゃあ。お前はなんでさっきからこっち見てたんだ?」
「へ?――いや、それは、あの」
「俺が気付いたんじゃない。蒼衣が言ってた」
「あ、あぁ…、伊吹くん」

その言葉に先程視線を捉えられた、自らの反対側で楽しそうに沙奈達と談笑する彼に目をやる。
どうやら椿と目が合う前から蒼衣は椿の視線に気付いていて、それをあろうことか陽にも言っていたらしい。抜け目ないなぁ、と思う。
確かに椿はずっと、蒼衣ではなく陽の方に意識をやっていた。
そのせいもあってか蒼衣の方に関しては、目が合ってしまうまで逆にこちらを見られていたと気付かなかったほどだ。

「み、満月と仲良くなってたみたいだったから。いつ会ったのかなぁ…って気になって」

蒼衣のせいで、もう言い逃れも何も出来る状況ではない。
わざわざこっちに席まで移動してきて、椿を間に挟んで座った理由はこれか。
少し箸を持つ手に力を込めて、恐る恐る尋ねてみる。これぐらい尋ねても陽はきっと怒らない。
けれどそういう問題以前に、なんだかそのことをいちいち気にしてる自分に気が引けた。
冷静になると朝悠乃達の前であんなに陽に絡んでいたことも恥ずかしい。

「前帰りにたまたま一緒になった、それだけだ。水澤のこととかは別に何も言ってない」
「そう…なんだ。いや、うん」

陽の返事に、椿はぎこちなく頷いた。
帰り一緒になったのか――なるほど、それなら満月が陽のことを呼んだことにも納得できる。
椿と初めて会ったときだって満月はそうだった。椿と違ってすぐに人と打ち解ける。
しかもどうやら彼は、椿が変に陽に突っ掛ってしまっているところは伏せてくれたらしい。
それを聞くと思わずほう、とようやく息が洩れた。
悠乃に挟まれたった十数分といえど居た堪れない時間を過ごし、朝からずっと呼吸が出来てなかった気がする。
よりによって満月にはいつもタイミング悪いところで出会ってしまうので、彼女と陽が知らないうちに親し気になってしまったということが不安だった。

「――そういうお弁当って、美味しいの?」

張りつめていた息をようやく吐いたところで、椿はまた思わず彼の箸の動きを追ってしまったので、試しに恐る恐る尋ねてみる。
訊くくらいなら罰は当たらない。興味を抱くことは悪いことではない。道徳にも、背いていない。

「別に特別美味くない。時間がなくて他に食うのがないから買ってる、そんなもんだ」
「…身体に、悪くないの?」
「よくはないだろうな。でも、仕方ない」
「…」

午後の授業が始まる頃には、いつの間にか降り始めた雨がザァザァと音を立てていた。



危険因子