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料理なんか、元々は出来なかったと思う。
けれどいつの間にか、出来るようになっていた。
毎朝兄が朝食を作るようになったのはいつからだっただろう。
最初の朝食は、ただの食パンを焼いただけのトーストだった気がする。
目玉焼きもただ焼いただけで、しかも黄身の部分が潰れていて全然美味しくなかった。
一口だけ食べて、こんなものいらないと偉そうに皿を突き返したことは昨日のように覚えている。
母もほぼ似たような反応で、突き返しこそしなかったものの全部は食べなかった。
朝、初めて三人でテーブルを囲んだあの日。兄が残された目玉焼きを、ただぼんやりと見つめていたことを守威は知っている。
篤がほぼ手の付けられていない目玉焼きをゴミ箱に捨てていたところを、テレビを見ているように見せかけてこっそり窺っていた。
そんな兄が、今では一人前に守威へ向かって料理のリクエストなんか聞いてくる。
例えば守威がここで料理名を挙げれば、相当珍しい奇妙な料理などでなければ人並みの味で作ってくれることだろう。



「――守威」

コトンと器がテーブルに置かれた音と、それこそ寝かしつけるような優しい声で名を呼ばれ、守威はふと意識を浮上させた。
どれくらい時間が経ったのだろう。瞳をふと開けば、こちらを覗き込んで微笑んでいる篤がいる。
ゆらりと身を起こして窓に視線をやると、まだ外は充分明るかった。
テレビの上にあるデジタル時計を確認すれば、篤の質問を拒絶し再び横になってからまだ三十分ほどしか経っていないらしい。
本来食事を摂る用途で使われないソファ前の低いテーブルには、芳ばしい匂いを放つ二人分の炒飯が用意されている。
どうやら篤は、結局昼食をこれにしたようだ。冷蔵庫もほとんど空だったので、無難な選択だと思う。
作り手にとってもこれくらいの手軽なものの方が楽でいいだろう。

「お昼作ったからよかったら一緒に食べよう」
「…」
「ねぎはちゃんと抜いてあるから。な?」

そう言われてちらりと窺う皿の上に、ねぎの存在はない。
ピーマンもなければ、篤がいつもやけに入れたがる玉子も確認できなかった。
守威はねぎは嫌いだが、ピーマンと玉子はたった一度虫の居所が悪くて、こんなもの食えないと言っただけだ。
それなのに篤は、そのたった一度をしっかり胸に刻んで一度拒絶されたものは二度と同じ形で作らないようにしている。
守威としてはいちいち訂正するは面倒だし、本当に嫌いなものが出てこないことは素直に有り難い。

「…少しだけなら」

篤の言葉に、渋々守威は頷くと改めてソファの上に座り直した。
ぎしりと軋んだそこに篤も掛ければいいのに、何故か彼はわざわざ向かい側のカーペットの上に胡坐をかいて座って少し大きめのスプーンをこちらに一本差し出してくる。
受け取るなり炒飯と一緒にあった水の入ったグラスの片方を傾け、喉を潤して正面を見てから、テレビに被るように座る兄が邪魔だと改めて感じた。
何も知らない兄は、にこにこ笑いながら小さくいただきますと呟いて手を合わせる。
守威もそれを見て、黙ったまま手を付けるタイミングだけをそっと合わせた。
実の兄弟なのにテレビもつけず日常会話もなく、外で遊ぶ近所の微かな子どもの声と食器の当たる音だけがやけに静かな空間に響いていく。

「…何見てんだよ」

何度目かのスプーンで掬った塩胡椒の利いた米を口に運び、そんな沈黙を破ったのは守威の方だった。
そのまま黙っていてもよかったのだが、向かい合わせに座っているのだ。
わざわざ手をとめて正面からのじっと見据えてくる大きな黒い瞳の視線に、気付かないほど愚かではない。そしてそれに気づかないふりをしてやるほど優しくもない。
と言っても篤の方の皿はもう半分ほど空になっていた。
守威の方はというと早く食べ終えるのもなんだか癪で、ちびちびとさも気乗りしないように食していたのでまだ八割ほど残っている。
迎え撃つように合わせた、弟の拒絶を孕む眼差しに一瞬たじろいだ篤だったが、すぐにいつもの如く困ったように笑った。

「…美味いか、それ」
「食える味だから食ってるんだろ。それ以上でも以下でもない」
「…、そっか」

守威の決して気分をよくさせない言葉にも、篤はまたへにゃりと微笑む。
守威は兄のこういう笑顔が、大嫌いだ。
もっと、もっと言えばいいのだ。こんなに作ってやってるのに、その言い方はなんだと。
いっそのことそれくらいの方が清々しい。
同情も、罪滅ぼしも、気を遣われることも含め、兄には自分へ向かってそういう面での特別な感情を抱いて欲しくなかった。
まだ残っている炒飯をスプーンでまた掬って、今度は先程より少し多めに頬張った。
食事をすることは、自分で己の生を肯定しているようで気分が悪い。
けれど篤はそんな嫌がる守威に、何度も何度も一緒にご飯を食べようと語り掛けてくる。
守威が軽く吐息を洩らして水を仰ぐと、向かいの黒曜石色の瞳がふとテーブルの方へ落とされた。

「…気ィ使うなよ、ほっといてくれ。学校だって別に行きたいわけでもないんだから」

ぽつりと漏らした言葉に、篤は面白いくらいわかりやすく肩を揺らした。
握っていた彼のスプーンが、カチャンと皿に当たって高い悲鳴を挙げる。
さらにへらへらしたその顔が、一瞬固まったのをちゃんと守威は見逃さない。

「だから、急いで帰ってこなくていい。お前がいると鬱陶しい」
「――…、けど」
「今はたまたま食ってやってるけど、飯だっていらない」

軽く俯いたまま目を細めた篤は弟の言葉に何か言おうとしたが、そのまま暫くまた口を閉ざした。

「…、ごめん」

そしてゆっくりと、浅く息を吐いてから小さく謝罪を口にする。

「――別に」

しかし、守威は知っていた。
その謝罪が、守威の述べた欲求を肯定し、今まで悪かったという意味で告げられたものではないということを。

その証拠に、翌日守威が目覚めた時にも部屋の前にはラップのされた守威ぶんの食事が用意されていた。



中途半端な優しさはいらない