23

テスト返しを終え、いつもより少し早めに授業を終えた満月は、未だに友人の圧倒的成績に慄きながら、校門付近でぼんやりと空を仰いでいた。
いつもならその圧倒的成績だった友人――悠乃と帰るのだが、どうやら彼女は今日用があって一緒に帰れないらしい。
終礼までに言ってくれたならまだ一緒に帰ってくれる友人を探しただろうに、気付いた時にはもうみんなほとんど遊びに行ったあとだった。
そして、こうして呑気に空を眺めて今に至る。
こんなならいっそのこと、悠乃の用事に付き合ってしまえばよかったとさえ考える。
帰ったところで家に一人、学校にいてもこうして独り。とてつもなく退屈だ。
勉強の次に満月が大嫌いなものは、まさに“独りで過ごす退屈”である。
空はまだ、皮肉なことに日も傾いていなくて何処までも青空が続いている。
日が落ちなければ、一日は終わらない。
満月の持て余しているこの時間も、日が沈んでくれなければいつまで経っても終わらない。
テストの結果も散々で、心に負った傷も散々で、おまけに慰めてくれる人もいない。
今日はよくない日だ――そう思う。
きっとこの半日だけで、既に一生分の幸福を二酸化炭素として吐き出してしまったことだろう。

「はぁ…――って、お?」

もう幸福を逃がす溜め息は勘弁だ――そう思った矢先、満月は何気なく目を向けた向かい側の道を、見覚えのある長身が歩いているのを発見した。
黒い学ランに、大きな背丈。満月と同じ色合いなはずなのに、あまりの雰囲気に一緒だとは思えない髪と瞳。
明らかに結波の制服ではないその姿だが、満月が彼を目にしたのはこれが三回目だ。
視力には自信があるので、恐らく間違いなんかではない。
思わず近くの、一緒に下校している男女の上学年の間を裂いて満月はそちらへ駆け出した。

「!、まって」

普段車が多いことはないのに、こういう時に限って大きな車が二、三台目の前を通過して足を止める。
満月の呼び掛けは届かなかったようで、どんどん学ランの彼は長い足で大股に歩いていく。
羨ましい身長だと思っていたが、流石に今回ばかりは面倒だと思わずにはいられなかった。
車が通過し終えるなり、また走る。
駅に続くそちらの方角は満月の帰宅路とは正反対だったが、そんなことには構わない。
現に悠乃と何度か遊びに歩いたことがあるのだから道はよく知っていた。

「ねぇ、えっと…」

呼び留めようにも、不幸なことに満月は三度も会っているのに彼の名前を知らない。
椿が彼のことを、何て呼んでいたかも覚えていなかった。ひょっとするとあの時は呼んでいなかった可能性だってある。
彼に振り返ってもらうために、少しでも足のスピードを緩めてもらうために、最善の呼び掛けはなんなのか。
一旦足を止めて呼吸をすると、仕方なく満月は息を吸いこんで精一杯の声を張り上げた。
どうか、彼に、届いてほしいとそれだけを一心に。

「前椿と、喧嘩してた人!まって!!!」

するとそこで、初めて少年が長い足で進めるのをやめて、振り返ってくれた。
その見返る姿に、大きく腕を振り上げる。
近くまで小走りに近寄ると、翡翠色の双眸が少し眩しそうに細められた。

「お前…見たことあるな。水澤の知り合いか?」
「やだなあ、前朝に会ったじゃん」
「…そうだった、っけな」

曖昧に頷いた彼は、重ねて人を覚えるのが得意ではないのだと言う。
無表情のまま顎に手を当てて考えると、暫くしてから如何にも締まりのない低い声を洩らした。

「いや、思い出した。あいつが結波の奴といるのは珍しいと思ったから覚えてる」
「ほんとに?」
「俺はお前に、水澤を追いかけなくていいのかと言った」
「まさにそれが私です。ねぇ名前なんていうの?椿の口調からして一年だよね?私、寺鳥 満月」
「…夕城 陽。一年だ」

淡々と、それでも樹のようにどこか穏やかな雰囲気を纏う彼にぴったりな名前だと、満月はにっこりと笑う。

「どこまで帰るの?」
「今は、親に頼まれた買い出しに駅近くまで」

駅まで行けば、せめてクラスの知り合いなどに会えるだろうか。
陽の示す方角を振り返れば、結波や黎花の生徒が少なくとも校門で待機していた頃よりは多くいるように見える。
そこで満月は、陽が今日は奇術師の如く食べ物を片手に歩いていないことに初めて気づいた。
思えば満月もお昼には購買で買ったロールパン一つしか食べていない。別れ際悠乃に貰ったものだ。
そう思うと唐突に、空腹感が体内に広がった。

「…わ。私もね、そっちまで行こうと思ってたの。家に誰もいなくて、一人だと嫌だしご飯食べに。夕城くんも行かない?」
「…飯に?」
「黎花はお昼食べた?」
「いいや。けど、」

一旦ポケットから端末を取り出した陽は、ちらりと画面に表示された時計を確認してから微かに言い淀む。

「あ、急いでるならいいよ」

しかしその言葉に、陽は少し何かを躊躇うようにはしたもののすぐに首を縦に振ってくれた。

「…付き合う。まだ時間もあるし」
「え、いいの?ありがとう!」



絡まったみどり