02

「先輩、もう授業始まりますよ」
「え。やだもう少し、あと一回。ね?」

これっきりだから――そういう約束で過ごした時間が、もうすぐ昼休み終了のチャイムと共に終わりを告げようとしている。
しかしじゃあさようなら、そう少年が告げようとしたところで、往生際の悪い三年生になりたての女子生徒は再び彼の手に派手に彩られた爪の指を絡ませた。
向かい合うようにして身体を寄せられると、シャンプーなのか香水なのかまた甘い薫りがする。
こちらを見上げる大きな瞳は、まだ熱に酔うように溶けていた。
一心にただ自分だけを見つめてくれるその熱い視線は、少年にとっても決して不快なものではない。
それでも、慣れたそういう眼差しは不快感こそ与えはしないものの、一方の少年に快感を与えるものではないことを誤解してはならない。

「じゃああと一回。――本当に、これっきりにしてください」
「うん。約束する。約束するからおねがい」

こちらの念を押す言葉に急くように頷いた彼女は、男がその長いはちみつ色の髪を掬ったのを確認すると、その首に両腕でしがみつくように抱き付いた。
甘い甘い、胸焼けしそうな薫りが男の全身に纏わりつく。
やはり何処にでもいそうな女の匂いだ、と思った。
先日まで付き合っていた他校の女子も、こんな薫りをしていた気がする。
彼女のその期待に応えるように裏切るように、腰に片腕を回してゆっくりと頬に手を添えた。
吐息が掛かるほどの距離で相手の名を呟いたのは、勿論女の方だ。
うっとりと微笑む彼女を真似て、少年も同じように口角を釣り上げる。そしてそのまま、啄むように唇を重ねた。
花の蜜のような、砂糖菓子のような、甘い味が全身に広がる。
息をする隙すら与えず、何度かその行為を繰り返した。

「――はい、おしまい」
「っ、え?」

だが不意に鳴り響いたチャイムの音を耳にするなり、少年は余韻に浸る間もなく不意に唇を離した。
驚いたように我に返らされた女子生徒が、軽く肩で息をしながら首を傾げる。
その肩に手をやるなり、寄り添っていたその距離をある程度保ちなおした。

「も、もう終わり?」
「昼休みまでって約束でしたから。それに“一回”もしましたし」
「待ってよ。あと――そう、今日家に来て?それで本当に最後にする」

見上げてくるその視線は、まだ少年のことを必死に映していた。
だが彼女の願いは“先程の一回”で、それは今満たした。
時間を過ぎた以上、もう願いを聞いてやる気にはなれない。
それに少年は、彼女とこの先も付き合っていこうとは微塵も考えていない。

「――先輩。そういうの、やめてください。一週間ありがとうございました」

困ったように眉を下げて、それでも尚且つ冷ややかに別れを告げる。
あくまではっきりと、明確にだ。
そう言ってから少年が一度視線を逸らすと、女は随分ショックを受けた顔をしていたが、もう何も言わなくなった。
そのまま瞳に一杯涙を溜めて、俯くなり甘そうなはちみつ色の髪を揺らしながら小走りにその場から去っていく。
それでもやはり人を拒絶して泣かすということは何度重ねても慣れないことで、横を通り過ぎていくその横顔を見てしまうたび、自分でやっていることなのに息が詰まるほどの痛みを覚えてしまう。
彼が最後に聞いたのは感謝は勿論罵倒は愚か、さようならの言葉でもなく、ただ悲しそうに鼻を啜る音だった。
泣いたら折角の化粧が台無しだとぼんやりと思う。
付き合うなんて考えられはしないが、華やかでキレイな子だった。
一人残された体育館裏で、見上げる青空はとてつもなく広い。
どうせ午後は美術か音楽だったか移動教室の授業だったと記憶しているので鞄だけでも取りに行くか――そう考えたところでふと誰もいなかったはずの渡り廊下の方から声が掛かった。

「お、いたいた」

よく知るその声に、少年はゆっくりと振り返る。
少年の持つ元からの金色とも、先程の彼女の丁寧に造られたはちみつ色とも違う、それこそスプレーで適当に染めたかのような、彼の友人である久世 廉がそこには立っていた。
耳では大きな安物のピアスがゆらゆらと揺れている。

「探しただろ、煌哉。今日までの先輩オレに紹介してくれるって約束だったじゃねぇか」
「ン。悪い、それならあまりにしつこかったから数秒前に盛大にフッたところだ」
「はぁ?女子には優しくしろよ。可哀想だろ」

廉は少年――昴月 煌哉の言葉に肩を竦めながら、察しよく彼の鞄をこちらに突き出してきた。
財布と端末はポケットにとなると、専らすっからかんの鞄は普通の男子高校生が片手で適当に振り回せてしまうほど軽い。

「どっか歩くだろ?俺も付き合うぜ、お前といるといい女が寄ってくるし」
「あー…あぁ、まぁ暇だし行ってもいいけど。四時には待ち合わせがあるからそれまでな」
「もう新しい女か?どこの子?」
「なんだっけ、前お前も会った子。ナナミちゃん?だっけ?」

廉から鞄を受け取ると、二人して慣れた様子で体育館裏から少し歩くと着く校門の門を登って超えた。これで彼らの今日の授業は終了だ。
お隣の学校とは大違いの甘いセキュリティに涙が出そうになる。
煌哉は端末片手にこの前登録したアドレスを漁りながら、今日会う二人目の女子の顔を思い出した。

「マジかよ。あの子可愛かったよな、スタイルもいいし」
「…じゃあお前が代わりに行くか?」
「は?いいのかよ。お前が約束したんだろ」
「ショートカットって好みじゃないし。俺あぁいう大人っぽいのは正直好きじゃない」

ちらりと液晶から視線を逸らせば、廉が真剣に眉根を寄せていた。
約束の横流しはしたくはないが、自分の好みではない子を友人が好いている。
煌哉にとってそれは、女たちへの誠意よりは一応重く考えてもいいだけの分量に値した。
なによりさっきの今じゃ、まだいつもみたいにニコニコできる自信がない。
それに一度そう考えてしまうと、もうとてもではないが女の相手をしている気分ではなかった。

「そういうことならやっぱ俺帰って寝るわ。彼女にはなんか上手いこと言っといてくれ」

廉の結論が出る前に、こちらの結論を押し付ける。
帰りにレンタルショップで何か借りて、家でそれを大人しく鑑賞していよう。
なにか吹っ切れる感じのアクション映画がいい。

「先輩紹介してやれなかった代わりってことで。上手くやれよ。じゃ」

女子には出来ない笑顔も相手が男となれば話は別で、特に甘くもない適当な笑みを張り付けると煌哉はそのまま逃げるように廉とは逆方向へ歩みを進める。
暫く固まっていた廉も長い付き合いは伊達ではなく、煌哉の意思を何となく汲み取ってか引き留めは愚か文句も感謝も口にしない。
恋愛絡みは、寧ろこのくらいあっさりしていてくれた方が煌哉は楽だった。



ドラマの真似