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黎花高校の今年の一年生は、全部で四組ある。
生徒はそれぞれのクラスに約四十人ほど、学年の生徒数は恐らく百六十人程度。
他のクラスとはまだ交流が少ないのでわからないのだが、少なくとも椿の属する一組では、沙奈たちと過ごすようになった学級委員を未だ気にかけ、白い目を向ける者はおらず、ある違う話題がひっそりと生徒たちの間で挙がっていた。
窓際の一番後ろの席が――もう学校が始まって暫く経つというのにずっと空なのだ。
この席に登校してきた生徒を見た者はいない。
しかし名簿と机の数を合わせると、きちんと同じ数だけ席がある。余りが隅っこに置いてあるわけではないのだ。
黎花では入学して授業が始まる前に席替えが行われたので、それになかなか気付けなかったが、流石にそろそろ気持ち悪い違和感が広がってきていることが、そういう話題に疎い椿にでも嫌でもわかる。
そして珍しく悠乃抜きで満月と登校したその日、椿は教室に入るなり、沙奈に朝一で声を掛けられて鞄も置かずに彼女に元へと向かった。
沙奈の机には涼は勿論、数人の女子生徒、さらには若干の男子生徒の姿まである。
その中には共に委員長を務める蒼衣の姿もあった。

「どうしたの?」
「あぁ、伊吹くんがクラス名簿貰ってきてね、沙奈が勝手にそれを見て盛り上がってるの」
「困るよねぇ、あんまり騒ぎになったら俺らが怒られるじゃん。ね?」
「…」

涼に尋ねると、彼女は肩を竦めて困ったように笑った。
どうやらこの集団を作った源は沙奈であり、その元凶は蒼衣が持ってきたクラス名簿。
そしてその内容は――ごり押しの消去法で炙り出した、誰もが気になって仕方ない「空白の席の人物の名前」だった。
同じく渋い顔をして微笑む蒼衣が、涼の隣に来て椿を見る。
椿はその視線から逃げるように目を逸らしてから、小さく頷いた。

「守るって字に威厳のイ。ごつい漢字だし多分男だよね?」

沙奈は輪の中心で、適当にクラスの子と議論を交わしていた。
沙奈の言葉に誰かが、「なんだ男か」と「イケメンかなぁー」とそれぞれ浮ついた感想を述べる。
黎花のこういうところが、椿はあまり好きではない。
その声は次第に落胆からからかいへと変わり、あっという間に姿さえ知らない人物への悪口に似たようなからかいへと変わっていった。
話題を持ち出したのは沙奈であったが、その先陣を切ったのは沙奈ではない。
思わずぴくりと動いた眉に、蒼衣がまたちらりと視線を向けてくる。

「ってかさ、なんで学校来ないの?」
「引きこもりなんじゃねぇの?」
「えー、やだぁ」
「気持ち悪いオタクとかだったらどうしよう」
「寧ろ病弱なイケメンなのかも知れない」
「男子からすると出来る限り格好良くない方がいいな」

なかなか不愉快な議論を、椿は黙って聞いていた。
言いたいことは山ほどあるのだが、ここでまたやらかしてしまうと元も子もない。
スカートの裾をぎゅっと握ると、それとほぼ同じタイミングでまた教室の扉が開いた。
現れたのは先程突き放した――相変わらず歩きながら、今度は焼きそばパンを頬張る陽だった。
変な人だかりを視界に捉えつつ、陽も鞄を持ちながらこちらまでやってくる。
と言うよりは彼の席が、その人だかりの二つ後ろ――丁度椿達が凭れかかっていたこの席だったのだ。

「何かあったのか?」
「不登校生徒についての考察。心底どうでもいいことだよ」
「…そうか」

自分の机に鞄を置いた陽は、蒼衣の言葉を聞くと少しだけ目を細めてまた一口パンを口にした。
鞄を持つ手とは反対側に持っていたコンビニのビニール袋から、新しい紙パックの飲み物を取り出してそれにストローを突き立てる。
盛り上がっている人だかりは、未だ好き勝手に色々言っていた。
しかし改めて前を向くと、沙奈はいつのまにかもうその輪の中にはいない。

「おっはよー。夕城元気?いいなあ焼きそばパン、私も食べたい」
「昼休みになれば購買で販売されるだろ」
「それってオブラートにお前にはやらないって意思表示?あぁそうだ。伊吹、この名簿返す。ありがとう」
「もういいの?」
「別に私、知りもしない相手にあぁいう文句とかないから。あっても直接言うし」

少しうんざりしたように息を零した沙奈は、大きく伸びをするとポキっとと首を左右に曲げて鳴らした。
名簿を受け取った蒼衣が、その隙に椿の隣に来て担任に受けた伝言を伝えてくれる。
どうやら入学関係の書類の確認をしたので、まだ提出していない生徒に声を掛けて欲しいとのことらしい。

「まぁこれくらいなら、陽にやらそうかな」

相変わらずにこやかに話す隣を、少し警戒しながら窺うと、こちらのそんな視線を知ったうえでなのか、目が合ってから彼はそう言ってまた微笑んだ。



予兆