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「って感じで」
「それ、本当に?」

登校するなり、満月が悠乃に今朝の登校時の出来事を話すと、彼女は怪訝そうに、可愛らしいその顔を少し顰めて訊き返した。
さらに続けて、椿がそんなに怒っていたの?だなんて今話していた内容を全て聞き流していたのではないかという質問を寄越してくる。
満月も最初は驚いたが、あれは明らかに怒っていた。寧ろ怒っていなければ何なのだ。
口調は丁寧で、それこそ当り散らしたり大声で怒鳴ったわけではないが、そこが椿といえば椿らしい。
明らかなる拒絶。椿はあの時はっきりと、あの自販機の彼を拒絶していた。

「…その男子が何かしたのかしら?」
「私も気になって男子の方に訊いてみたけど、大したことないって言うだけで」
「…うーん、きっと椿の場合は、それが大したことかどうかが問題ではないのよね」

満月の言葉に唸った悠乃は、その顔をお次は難しそうに歪めて言う。
そんな悠乃曰く、水澤 椿という少女は兎に角“曲がったこと”が嫌いらしい。
そりゃ几帳面そうだなとは思ったものの、しかしただそういうわけでもないそうだ。
朝のホームルーム開始のチャイムが響くが、満月は構わず悠乃の前の席を拝借しながら、悠乃の話に耳を傾けた。
ざわざわとしていた教室内の雰囲気が、担任の登場に身構えてほんの微かに変わる。

「椿はね、あぁ見えてとっても意思の強い子なの。ほら、前も言ってたでしょ。入学したばっかりのクラスで普通委員会決めで異議を申しつけるなんて満月でもしない。けれど、椿にはそれが許せないの。どうしてっておかしいからよ。納得できない、しかも誰が見ても違和感を覚えるそれを、正さずにはいられない子なの」

満月も私には適当でいいけれど椿には気をつけてね――そう一息に言った悠乃に、満月は同じく難しそうに顔を顰めて頷いた。
あの日自販機で飲み物を買って、悠乃達のところまで戻り、椿の悩みを悠乃と、満月も合わせて二人で聞いた。
話の内容は簡潔にまとめると、“椿が入学して間もないクラスで異議を申し立てて、気まずい空気を作り出してしまった”のようなものだった、はずだ。
確かに、満月ならいくら不正を目撃しても、納得いかない展開が待ち受けていても、然程気にならないこともあってそれを咎めることはしないだろう。
そう考えると椿の真面目さは、満月の大雑把な面に引っ掛かりそうな部分もある。

「どんな子だったの?」
「ん?」
「その学ランの彼のこと。椿がそんな態度を取る子って気になるわ」
「あー…、別に普通だったよ。たぶん」

悠乃の質問に、改めて満月は今朝の彼の姿を連想させた。
すらりとした長身に、男としては少し長い類に入るのではないかと思う程度の樹の幹色の髪。
翡翠色の瞳は真夏に輝く葉たちのようであり、静かで、まるで樹のような男だった。
真っ直ぐで揺らぎないその瞳の光は、今思えば少し椿に似ているようにも感じる。
口数は少ないが、おそらく悪い人ではないだろう。

「茶髪に、緑の瞳…ねぇ、」

満月が彼のことについて話すと、何故か悠乃は少しだけ目を細めて顎に手を当てた。
何かを考える仕草に、思わず満月も顔を傾げる。
ひょっとして知り合いなのだろうか。

「…満月って、この間の椿の話聞いてた?」

暫くそのかわいらしい顔で唸ったあと、悠乃は少し困ったようにふと満月を見て尋ねた。
この間とは、椿が悩みに悩んで悠乃を呼び出したあの日のことか。
飲み物を買って来て合流して、満月も彼女の悩みについて一緒に悩んで――聞いていた、つもりだ。
だからきちんと“正面から向き合うしかない!”とアドバイスした。
これから先、転校でもしない限り「学校」は「日常」の一部として大部分を占めてくるのに違いないので、その言葉は間違っていないと思う。

「あぁ、別に責めてるんじゃなくて。あとアドバイス云々じゃなくて私が訊いてるのは悩み本体の方ね」
「聞いてた、と思うけど」

改めて、口にする。しかしいくら聞いてたと自信があっても、言い切ることは躊躇われる。不思議だ。
けれど、それがなんだと言うのか。
悠乃の真意が分からず眉を顰めて言葉を待つと、複雑そうな顔をして悠乃が続けた。
同時に、教室の前の扉ががらりと開いて、ホームルーム用のプリントと出席簿を構えた担任教師がやってくる。

「委員会のとき、椿が文句つけちゃったっていう子なんだけど。大きくて、あんまり喋ってくれないぶん余計何を考えているかわからなかったって椿、言ってなかった?」
「あ――っ!」

前の席の持ち主が戻ってきたので、満月は腰を上げながらも思わず驚愕の声を挙げた。
確かに言われてみればあの日、椿の悩みを聞いて、三人で相手の分析をしようと考えた満月と悠乃は椿から出来る限りその彼の印象を聞き出した。
高い身長、翡翠色の瞳。口数が少なく、確かに何を考えているかわからないところがある。
彼がその男子生徒で、だから椿があぁいう態度を取っていたのだと思うと、なんだかすべてに納得が行く。
となるとまた、初期の段階より随分椿が彼に対し刺々しくなっていたことへの謎は残るが。

「すごい、そっか!私全然思い浮かばなかった!」

改めて無駄に大きな声で感嘆した満月を、プリントを配りに来た担任が五月蝿いとただ一言で制した。



薄味好み