13

憂鬱な朝を迎え、途中まで悠乃と満月と投稿した椿は、恐る恐る教室の後ろのドアを開いた。
既に登校している何人かの生徒が、扉の音に反応してこちらを振り返るがすぐにふと視線を逸らす。
その行動すら昨日の自分の行いを咎められているように感じながら、そっと忍び足で自分の席へと向かった。
一通り教室内を見渡してみるが、幸いなことに昨日椿が突っ掛った男子はまだ来ていないようだ。
そのことに思わずそっと息を零す。出来れば顔を合わせたくない。
しかし、高校というものは自由出席でないのでそう上手くはいかない。
唯一確実なのは椿が学校を休むことだが、それは親に心配が掛かるので嫌だった。
兎に角誰とも顔を合わせないようにと俯いてみるものの、何度かドアが開く音がしたその後、不意に聞き覚えのある低い声が上から牽制するように降ってくる。

「おい」
「…、!」

無視を決め込む度胸もなく、思わずびくりと肩を揺らしていまったところで、反射的に顔を挙げた。

「…な、なに?」

こちらを見つめる真っ直ぐな翡翠色の双眸に、耳に掛かる辺りで切り揃えられた、大地を連想させるその髪色。
名前は――確か、クラス委員になった伊吹 蒼衣は“陽”と呼んでいた。夕城 陽だ。
昨日あんなにも偉そうに見えた表情からは、もう何も読み取ることができない。
穴が開きそうなほど揺らがないその視線は、やはり他の生徒同様椿を咎めているように思えた。
否、おそらく椿を一番咎めたいのはクラスの誰でもなく、この少年だろう。
あんな風に散々言い、頭を下げるよう強いる状況に追い込んだ人物、憎いに決まってる。

「…あ、あの。私、きのう、」

――謝れば、いいのだろうか。

しかし何に対して謝るのか、椿にはわからない。
追い詰めたことに対して?彼がそもそも不正を行ったことが悪いのに。
それとも偉そうに物を言ったことに対してだろうか?ならば彼が下げた頭は、何だったというのか。
椿が途中で言葉を止めても、陽は何も言わない。
ただ真っ直ぐ、射抜くように椿の赤い瞳を捉えて離さない。
逸らせば、それこそどうにかなる気さえした。

互いに口を噤んだまま、一体どれだけ静止しただろう。
幸いにも椿が呼吸の仕方を忘れる前に、圧迫死しそうなその空気を裂いてくれたのはまた改めて開いた後ろのドアから入ってきた二人組の女子だった。

「あー、夕城早速女子いじめ?感心しないなぁ、昨日の腹いせ?男でしょ、そういうしつこいのマジありえない」
「ホントだー。水澤さん、おはよう」

真っ直ぐこちらを見ていた視線が、間を割って椿と陽、双方の顔を覗き込む女子の片割れへと向く。
短いショートの髪をした彼女は、心底楽しそうに性質の悪そうな笑みを浮かべて、その視線を受け止めた。
その横顔が、少し悪巧みをしているときの悠乃に似ている気がする。
一方でその隣にいた、長い髪を二つに束ねた少女が、こちらにきてにこりと挨拶してきた。
ふわふわしたその声は、色素の薄い髪色のせいあってか砂糖系の菓子を連想させる。

「っていうかそういう威圧的な視線、ずるくない?アンタただでさえデカいんだからさぁ、もうちょっとこう、下からとか?小さく?なってくれないとビビっちゃうって。そうだよねぇ、水澤サン?」
「へ?…あ、ううん、私は、」
「ふふふ、そんな沙奈もこわがられてるー」
「五月蝿いなぁ。涼は黙ってな」

勢い任せで不意に振られた話題に、思わずたじろげば二つ括りの少女がやはりふわふわと笑った。
一方でそんな彼女を指さして、ペラペラとマシンガンのように言葉を紡ぐショートの少女はまた陽に向き直りなり、話を続ける。
一瞬だけ陽が椿の方を改めて見たが、その視線はまたショートの少女へと向けられた。

「んで、夕城アンタは何の用?折角だからこの沙奈様が聴いてあげる」
「…少し、話したいことがあっただけだ。伝言してもらうような大層な内容じゃない」
「えー?残念。無料だし遠慮しなくていいけど」
「間に合ってる」

結局そのまま、彼女らの勢いに押されたのか、陽は伝言のサービスを断ると、自分の席へと戻って行った。
去り際にもう一度視線が向けられた気がして、とっさに俯いたが彼がやはり何を考えているのかはさっぱりわからない。
一つ息を零してから恐る恐る隣を窺うと、対象をなくした二人組の女子が今度こそ揃って椿を見ていた。

「助けてくれて、ありがとう」

先程陽に言葉を掛ける際は何を言えばいいかわからなかったが、今度は一応わかる。彼女たちは椿を助けてくれたのだ。
椿が礼を言うと、先に先程まで陽に執拗に絡んでいたショートの方がやはり意地悪そうな笑みを浮かべて応えてくれた。

「いいって。私、鳴海 沙奈。おんなじクラスだしよろしくね」

続けて隣の二つ括りの少女も、微笑みながら自己紹介してくれる。

「わたしも同じクラスだよー。姫明 涼、よろしくね」

二人がそう名乗るので、椿も反射的に名乗ろうと唇を開いたが、その言葉は被せるように発せられた涼の言葉に掻き消された。
天を指さす人差し指が、くるくると円を描くようにして揺れる。

「水澤 椿ちゃん、でしょう?知ってるよ。クラス委員だもんね」
「あれは痺れたなぁ。よくあんな先生にも訴えられたよね、そんな風には見えないのに。あぁ別に嫌味とかじゃなくって」
「ち、違うの!あれはちょっと、理由が――」



気が付けば窒息死