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「遅いなぁ。どこまで行ってたの」

公園のベンチのところ、腰掛けてクラス委員の役割を記したプリントに目を落としていた少年は、ふと陽の姿を確認するなり困ったように笑った。
どこか青を思わせる髪が、いつの間にか藍色になった空の光を吸って一層海のような色を醸す。
ベンチの上に置かれた書類はまさしく陽が押し付けた“役割”のものであり、懸命に目を通す彼の姿を目にするのはそれなりに胸を占める感情があった。
隣にまでふらふらと歩いて行って、せめてもとたった今見知らぬ女子高生と交換した緑茶と紅茶を並べて尋ねる。

「どっちがいい?悪い、両方落とした」
「あぁ、そんなこと別にいいけど。選んでいいの?ありがとう」
「…礼なんていらない」

プリントを持っている方と反対の腕が、少しわざとらしく躊躇ってから紅茶を選択する。
陽は紅茶が好きではない。伊吹 蒼衣はこういう男だった。
優しくて、いつもヘラヘラしている。そして言葉の少ない陽のことを酌んでくれる。
中三の、進路も決まった本当に終わり頃、同じ高校に通う男だと初めてきちんとお互いの存在を認識した。
陽は記憶にないが、蒼衣曰く陽と彼は中学でも一回だけ同じクラスになったことがあるらしい。
ただやはり、だからといってその頃そんなに話したことはないそうだ。

「クラス委員、本当に助かった。感謝してる」
「いいよ、それくらい。お袋さんいなくて店大変なんだろ?お前長男だし、そういうの好きなら余計仕方ないよ」

改めて軽く頭を下げれば、やはり蒼衣がそれを慌てて制止する。

陽の家は自営業であり、その主である父はよく様々な事情で家を留守にすることが多い。
別に遊んでいるわけではないのだが、付き合いで酒も口にする。
強くもなければおまけに酒癖が悪いので、深夜に帰ってきてはへばっている、朝帰りや二日酔いなんてザラだった。
そしてそんな父の代わりに店を務め、帰宅すればへばっている父を介抱する母――が倒れたのは入学式と同時くらいの最近のことだ。
店をやらなければ家計的にもつらくなる。
大きな病気ではなかったものの、疲労した母が回復するまでには時間が掛かる。
おまけに成績が落ちれば、色々教えてもらうことを条件に父と交わした約束を破ることに繋がる。そうなると将来に支障が出る。最悪だ。
父は一応出先から戻って来て朝から夕方まで店を営んではくれるが、彼一人に任せていてはそれこそ母のようになるのは時間の問題だろう。
前にも一度こんなことがあったが、その時は父が他の仕事を済ませていたので普通に家にいて営業に専念できていた。
それが今回との大きな差だ。

「それより心配しないといけないのは、あの女の子の方じゃない?」
「…そうだな」

蒼衣の言葉に、陽は改めて今日のことを思い出す。
名前は覚えていないが、肌と瞳、それ以外が真っ黒な少女だった。
はっきり告げてきた異議は、陽も嫌いではない。彼女の言っていたことは正論だと思う。
しかし内容が内容なだけあってどうしても頷くことはできなかった。

「陽は言葉が足りないから余計誤解されちゃっただろうね。俺気まずいなぁ、このままあの子と仕事するの」

わざとらしく呟く蒼衣が、開けたペットボトルを傾けて目を細める。
名前の通りの青いその瞳は、何か言いたげに陽の方を見ていた。
陽も歪な緑茶のペットボトルに口をつけて喉を鳴らす。

「…考えておく。もう帰らないと」

帰って夕食の準備をする。学校で出された課題、書類もまとめなければ。
料理の下ごしらえもしておいて、一時的に帰って来てくれた父になるべく負担がないように。
やらならなければいけないことは山積みだ。
陽が一気に半分くらい空にしたペットボトルを鞄に突っ込むと、蒼衣も手早く広げていたプリントを片付けて立ち上がった。



新緑便り