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悠乃は可愛いと思う。否、思うではなくきっとこれは確実だ。
甘くてふわふわしてて、それでもはっきりと意思を持つ、どこまでも澄んだ空色の瞳。
それだけではなく、その眩しいくらい綺麗な双眸が時々悪戯っぽく細められるのもまた――特に男子からして見れば堪らないものだろう。
けれど決して甘くもなく、様々な人とこそ話すもののその関係がふしだらなことは絶対にない。
それなのにやはりゆるやかにウェーブの掛かった髪は、風に靡くとほんのりと甘い香りを感じさせる。
そして。

「彼女が私と中学校時代から仲のいい水澤 椿。で、こっちが私と同じクラスの寺鳥 満月」

一方悠乃に紹介され、前で鞄をきちんと握り、綺麗に頭を十五度下げた水澤 椿という少女。
彼女もまた悠乃とはまた違う、目を逸らせなくなる美しさを兼ね揃えた少女だった。
女子なら一度は憧れる、鴉の濡れ羽色のように艶やかな腰辺りまで伸びる黒髪。
よく似合っている真っ黒の制服のプリーツスカートはいつかの時代のように膝下辺りまで届いている。
悠乃は現代っ子という雰囲気、男なら誰でも一度は目で追ってしまうに違いないかわいさがあるが、椿も一部の男女からはきっと人気を集めることだろう。
いつの時代でもこの国ではきっと変わらない人気を誇り続ける清楚系。
凛としたその背筋からは一切色恋は感じられず、何処かの神社の巫女さんでも勤めているのではと思ってしまうくらいだ。
そしてまたそんな美しい和を象徴するかのような名前の如く――真っ黒な長い睫毛の下で戸惑いがちに揺れる赤い瞳はまさに謙虚で、日本の誇る伝統美ではないだろうか。

「満月って呼んで。よろしくね」
「満月――さん。すみません。突然呼びつけて」
「…固いなぁ、別にいいよ。あと“さん”とか敬語もいいから。同い年だよね?」

更に深々と頭を下げる日本美人を、苦笑しながら慌てて制止する。
とても固い。鉄筋コンクリートかと思うくらいその動作は隙がない程きっちり決まっていて、なんだか社会人の名刺交換、もしくは詫び入れでもされてる気分だった。
そんな二人の様子を見て、堪えるように笑いながらも流石の悠乃が取り持ってくれる。

「椿、お茶会じゃあるまいしそういうのはいいのよ。寧ろいらないくらい。学校でそんなお堅い自己紹介とかしてないでしょ?」
「…してない。けど、ううん。そのことでどうしても話したいことがあって」
「?、そのこと?」

困ったように、それでも面白そうに肩を竦めた悠乃に、椿はやはり真面目に向き直った。
そのこと、で話したいこととは、お茶会――のことではなさそうなので、学校ということか自己紹介ということか。
取り敢えず校門の前ではと少し歩いた場所で、改めて悠乃が続きを促す。
それでもなかなか、はっきりと言いださずに目を臥せる椿を見かねた満月は、ふと手を挙げて意見した。

「あの。私、喉渇いちゃって。なんか近くで買ってきていい?なんでもいいなら二人の分も買ってくるけど」
「え?あぁ――えぇ。ありがとう」

一瞬目を瞠った悠乃だが、すぐ何かを察したように頷いてくれる。
椿が何か言おうとしたのを押し留めて、いつものように笑って送り出してくれた。
初対面の人間がいることで、言えるものが言えなくなることだってあるだろう。
丁度何か飲みたいと思っていたので、今口にしたこともあながち嘘ではない。

周囲を見渡しながら暫く歩いていると、ふと歩道の脇に自販機を見つけた。
そろそろ往復を考えると適当な距離を歩いた気がしたので、それに小銭を突っ込み適当に三つのボタンを押す。
悠乃はよく紅茶を飲んでいるので、レモンティーとかそういうので問題ない。
椿はあの振る舞いから考察して無難な緑茶を選んだ。
最後に見たことのない、新商品!とラベルの貼られた謎のスポーツドリンクを自分用に購入する。
お釣りを取るなり、右手にレモンティーと緑茶、左手に未知のスポーツドリンクを装備した。
両手が塞ぐそれなりの重みに、なかなか強くなった気分がする。
このペットボトルで不審者も殴れそうだ。逆に言うと、下手すると相手に大きな怪我を負わせてしまうかも知れないのだが。
しっかり前を見なければ――と改めて気を引き締めようとした、が。

「わっ!?」

振り返って数歩歩いて、ふと手元のペットボトルの重みに浸っていたその瞬間に喰らった衝撃。
肩がどん、と思わずよろけて右手のペットボトルを手放した。
ごろごろと相手の足元に転がるそれにさっと血の気が引く。
たった今気を付けようと、そう考えたばかりではないか。

「すいません――!」

大きな長身は満月の謝罪を聞くより先に屈むなり、その落ちたボトルを拾ってくれた。
真っ黒な服はどうやら学ランらしく、学生鞄を持っている。
彼は立ち上がると、ペットボトルを見回しながら土の汚れを払ってく。
満月に似た土色――に近い樹の幹のような色の髪がその指先に合わせてさらりと揺れた。

「少しへっこんじまったな」
「へ?――あ、」

ふとペットボトルから視線を移した少年と、目が合う。
その顔は一見無表情で、しかしその中の翡翠色の双眸の奥はゆらりと揺れているように窺えた。
暫く無言で視線が交わって、それから少年の方が無造作にズボンのポケットを漁りだす。
掌の小銭を数えてから、彼は二本のペットボトルを持ったまま自販機の前へと向かった。
小銭を何枚か投入し、ガコンと二つのボタンを押す。

「俺もちゃんと前を見てなかった。悪い。――これ、見ての通り今買ったやつだ」
「え?ちょ、そんなのいいのに」

少年はそう謝罪すると、たった今購入したばかりの同じレモンティーと緑茶をこちらへ差し出してきた。
慌てて満月は首を振るが、少年はその二本を差し出したまま淡々と続ける。

「自販機でこんなに買うってことは、お前一人が全部飲むんじゃないんだろう。その相手にも悪い。どうせ俺も何か買いに来たんだから構わない。俺が飲むだけだ」
「う、」

満月もしっかり前を見ていなかったことに変わりはないのだが、そうやって待っている悠乃たちのことを指されると痛い。
確かに二人に落ちたペットボトルを――しかも自分のはこうしてちゃんと手にしているのに、差し出すのは如何なものだろうか。
何かいい案はないかと思考を巡らせるものの、彼にも待たせている二人にも、こんなどんな味かもわからないスポーツドリンクは代わりに差し出せない。
結局申し訳なさに項垂れながら、満月は彼の好意に甘えることにした。

「…ごめんなさい。じゃあお言葉に甘えてもいいですか」
「あぁ、助かる」
「ありがと」
「…、いや。いい」

満月が困ったように笑って礼を言えば、その真摯な翡翠色がまたどこか揺らめいて見える。
その表情は少しだけ、先程より安堵しているようにも思えた。
踵を返した際、彼の鞄の端に黎花高校の校章がプリントされてるのが目に留まる。
椿も含め、今の彼も、今日初めて黎花の生徒と話したが、二人から噂になっているほどの荒れっぷりは一切感じられなかった。
満月が戻る方向より右に進んで行くその背中を、ちらりと窺いながら今度こそ来た道を戻る。

「…寧ろ真面目だよなぁ」

満月は自己紹介の時、あんなに丁寧に頭を下げたりしないだろう。公共でのものでなければせいぜいぺこりと一瞬に違いない。
誰かにぶつかっても、謝って、更にあんなに手早く買い直すことをするだろうか。
思わず零れた呟きは、藍色に染まりつつある空に溶けて消えた。



いじわるガーネット